先日、10年ぶりに自分のビジネスマンとしてのキャリアの基礎を支援してくれた人たちと会食しました。
当時のボス、現場をまとめていた上司、そして後輩。
今思い返しても「こんな若いメンバーでよく回したな」と思う規模感のプロジェクトです。
登場人物
- ボス
- S上司
- T後輩
- ワイ
「なんで、あれ回ったんですかね?」
酒も入ってきたところで、ずっと引っかかっていたことを聞いてみました。
なんで当時、あんな大規模なプロジェクトをあの若いメンバーで回せたんすかね?
いやぁ、私は何もしてないよ。S上司からの報告をまとめてただけ。
……はい?
いやいや、それはボスが私たちを育ててくれたからですよ。だから、その通りにやっただけっす(笑)
その瞬間、腑に落ちた。「任せてた」んだ
このやり取りを聞いた瞬間、目から鱗が落ちました。
あの組織は、仕事を押し付けていたわけでも、丸投げしていたわけでも、細かく管理していたわけでもない。
判断の軸と、
最後に責任を取る覚悟だけが、上から下まで通っていた。
だから現場は、自分で考えて動けた。
そして強い組織って、面白いくらい誰も「俺がやった」と言わないんですよね。
- ボスは「何もしてない」と言う
- 上司は「育ててもらったから動けた」と言う
でも実際には、判断はブレず、現場は自走し、若手が責任を持って動いていた。
今思えば、とても強い組織でした。
任せるとは「ケツを拭く覚悟」だった
任せるとは、結果の責任だけを下に渡すことじゃない。
任せると言うなら、失敗したときに自分が前に出る。
つまり 「ケツを拭く覚悟」 を持つことなんだと思います。
そして最近、自分の中で定義が固まりました。
任せる覚悟は精神論じゃなくて、準備の量で決まる。
現場が回らないのは、現場の努力不足じゃない
最近よく聞きます。
- 「現場の主体性がなくてさ」
- 「もっと考えて動いてほしいよね」
でも、あの会食を思い出すたびに思うようになりました。
それ、本当に現場の問題ですか?
- 判断基準を渡しているか
- 迷ったら戻れる場所を用意しているか
- 失敗したときに前に立っているか
- 任せると言って、最後に責任を取っているか
これをやらずに「現場が弱い」と言うのは、仕事放棄だと思っています。
じゃあ、今の自分は任せられているのか?
ここまで書いておいて、自分に矢印を向けないのはフェアじゃない。
今は会社経営もしているので、正直 すべては任せられません。
最終判断、責任、お金と信用。ここは、まだ自分が握っています。
任せたフリはしたくないので、それははっきり認めています。
でも、技術については任せられます。
社員も「追いつけ追い越せ」で勉強しているし、積極的に前に出ます。
正直、マジで嬉しいですね。
ワイも負けじと頑張ります。歳はとりましたが、いつでも社員の手本となるよう鍛えてるつもりです。
(生には敵いませんが、やれるとこはやります)
管理職になって、一番怖かったジレンマ
管理職になって、一番怖かった事があります。
自分でやった方が早いしクオリティが高い。
でも、メンバーの底上げもしなければならない。
そのジレンマです。
手を出せば、一瞬で解決する。品質も担保できる。
でもそれを繰り返すと、現場は育たない。
そして何より怖いのは、自分が抜けた瞬間に回らなくなる組織が出来上がることです。
だから、あえて遅くなる選択をします。
失敗しそうでも見守る。回り道も許す。短期的には遅い。正直イラっとすることもある(笑)。
でも、その経験の積み重ねが現場を強くする。そう信じています。
任せる覚悟の正体:インプット、整理、青写真
最近、さらに腑に落ちたことがあります。
任せる覚悟は、単純に
ケツを拭くためのインプットと、
技術の整理と、
青写真の解像度を高くすることですね。
自分は常に、解像度の高い妄想をしています。
- 最悪のケースを妄想する(どうケツを拭くか)
- うまくいった未来を妄想する(どこまで行きたいか)
- メンバーが化けた世界線を妄想する(どう自走するか)
これは口出しするためじゃなくて、
最後に前に出るための、そして回収するための準備です。
まとめ:強い組織は、覚悟が静かに積み上がっている
強い組織は、号令が強い組織でも、厳しく管理された組織でもない。
上が、黙って準備をしている組織なんだと思います。
判断基準を渡し、最後は責任を引き受ける。
そのために、インプットし、技術を整理し、青写真の解像度を上げ続ける。
10年経っても語れる組織は、たぶんそういう場所です。
あの会食で、それが全部腑に落ちました。
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